疑問① 九大はなぜ、伊都という広い土地に移転したのか。
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なぜ九州大学は伊都なのか。
移転の理由が、今回の議題です。
移転の話をする前に、九大の広さの情報整理をします
九州大学伊都キャンパスは、
以前ご紹介した通り
日本最大のキャンパスの広さを誇る、旧帝国大学です。
271haもの敷地面積を持っています。
これは、二位の国立大学法人金沢大学の197haを70ha分も上回ります。
あのディズニーランドの約5.5個分です。
キャンパスの広い大学といえば、思い当たるのは他にも
金沢大学、筑波大学、広島大学、大阪大学、東北大学、北海道大学、京都大学
このあたりでしょうか
これらの大学に共通する不便さは、やはり学部間の移動です。
それぞれかなり広いのでかなり歩かなければなりません。
京都大学のように、信号がある道路で分断されていたり
金沢大学のように車通学が普通な大学もあります。
このような大学は一見、不便に思うかと思います。
ちょっとまって下さい。
では、他の大学はどうでしょうか。
例えば日本最大の学生数を誇る日本大学
日本大学の学部は、各地方に分散されています。
福島にあったり、東京の市ヶ谷にあったり
ここの学生は、他学部で開講されているような授業や、
研究で他学部の研究室の人間に会いに行かないといけない際に、
とても不便であることは容易に想像できるかと思います。
そうなんです
学部が分散している方が面倒なのです。
研究者同士の交流もあります。
他分野の研究者同士の自然なコミュニケーションの場が自然に出来るのも、
これは同じキャンパスに他学部があってこそなのです。
多くの学部を揃えている方が、様々な分野に触れる機会が増えますから
豊かな学習環境かつ研究環境と言えます。
多くの学部を揃えると、建物も大きくなりますし、それなりの敷地が必要になります。
ぎゅうぎゅうに詰めても、よくありません。
ゆとりあるスペースも求められます。
大学の広さというのは、一見不便に思えますが
それは便利にした結果なのです。
九州大学が
なぜ広くなった、なぜ伊都に移転したのか
様々な原因があります。
広くなった原因1
そもそも学部が多かった。
九州大学は、今なおいくつものキャンパスを持っていますが、
少し前までさらに多くのキャンパスを持っていました。
かねてから学部間での移動の不便さが問題視され、
すべての学部を集結させられる広い土地を探していたのです。
多くの学部が存在すれば、広くなるのも当然です。
広くなった原因2
移動した先の土地が元・国(くに)
実は伊都には、
邪馬台国の時代にイトの国、
という大きな国が存在していたことが文献から判明しています。
証拠に九州大学の様々な箇所に城跡や古墳が残っています。
地図を良く見て頂ければわかるのですが、
白くぽつぽつした点がありますが
それはすべて古墳です。
また文系ゾーンには、ゾーンを覆うほどの巨大な古墳が存在し
工事が大幅に遅れ、
歴史学者や考古学者の論争を引き起こした原因
のひとつです。
国があったのですから、大きくて当然です。
広くなった原因3
移転開始時からずっと広がっている。
九州大学伊都キャンパス東部、北西部は
土地が新たに購入され広がっているのではという話があります。
実際に工事車両も入っており、
計画していた当初よりも広くなっているのです。
主に農学部の農地などが利用用途のようですね。
広くなった原因4
森をそのまんま残した
これが広くなった大きな原因ではないかと言われています。
もともと伊都にあった生態系を保全した領域があります。
主に、理系学部キャンパスの北部のほぼすべてが保全ゾーンです。
イノシシが最も有名ですが、タヌキ、イタチ、アナグマ、ウサギ、キツネなどが報告されています。
実際に、キャンパスの地下には、動物のために造られた抜け穴が存在したりします。
極まれにですが、昼のキャンパスに姿を現し、SNSで拡散されています。
Twitterなどをやられている方は、検索してみて下さい。
森をそのまま残したのですから、広くて当然です。
狭いと生態系自体が消えてしまう可能性もありますから。
ここからは移転した理由です
移転した原因1
お金がなかった
九州大学も旧帝国大学ですから、お金はそれなりにもらってるんじゃないの?
と思うのが一般的な意見かと思います。
しかし、実際はそんなことはありません。
それ以降、
国の方針で、大学(これはどこの大学もそうだと思いますが)への
予算はどんどん減らされています。
これは郵政民営化を推し進めた小泉内閣が始まったときからです。
個人や企業が、国の助けを必要としないような、個が強くなる国に…
というような考えかと思いますが、
その考えを潤沢な資金が無いと機能しない "大学" に持ってきているんですね…
九州大学は資金面に苦しんだため、
1980年代から福岡市に点在する大学用地を売り、資金を増やそうとしました。
福岡市の土地なら高いですから、高く売れます。
恐らく、これが一番大きな移転の理由でしょうね。
移転した原因2
福岡市からの猛烈なアプローチ
九州大学は福岡の大学です。
福岡市としても、九州一の大学を福岡市に置きたいという願望がありました。
一部が福岡市西区として福岡市になりました。
福岡市基本計画
http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/39879/1/4_ku.pdf?20161130141141
福岡市としては、この西区の発展が課題でした。
そこが広い土地を探していた九州大学の思惑と合致したんですね。
福岡市としては、
九州大学を起点に学術研究都市を造りたい思惑があります。
実は、九州大学は初めから伊都だけを見ていたわけではありません。
伊都以外にも候補地はいくつかありました。
東区のあたりや、
古賀市周辺などが有力地として最後の選択まで残りました。
他にも数か所の候補地が最初の頃存在していたようです。
しかし、どの土地も福岡中心から遠く、議論は長引いたようです。
そこで福岡の発展を目論む福岡市の熱いアプローチを受け、
(福岡市長と九大学長が、二人で居酒屋で話し合ったなんて噂も…)
福岡市西区の発展のため、
そして安く広大な敷地が残る
伊都が選ばれました。
このように様々な理由で伊都に移転してきました。
では実際に伊都キャンパスが不便なのかについては、
次の記事に書きたいと思います
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